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『Three and Two』(スリー・アンド・トゥ)は、1979年10月20日に発売されたオフコース通算7作目のオリジナルアルバム。 == 解説 == 田園コロシアムでのコンサート直前の1979年8月1日、清水仁・大間ジロー・松尾一彦の3人はオフコースのメンバーとして正式加入。そしてアルバムは『Three and Two』とタイトルが付けられた。“Three and Two”とはゴルフ用語の“あと2ホールで3打差があるとき、自動的に勝負が決まること”で、オフコースの人数ともあうことから付けられたと、'80年初頭の雑誌インタビューで清水が答えていた。また、このアルバムでは「どんな楽曲を、どう演奏をすればバンドとして成立するのか」を強く意識してレコーディングを行ったと、後に小田はインタビューで答えている。 アルバムジャケットは表に新加入の3人が、裏に小田・鈴木がそれぞれ写った。それについて小田は「揉めたんだよ、レコード会社と。でも、それでも“表は新しく入った3人にしてくれ”って言ってね。俺、“かっこよさ”っていうのはそういうところにあると思うんだよ。“俺が俺が”っていうのは、かっこいいとは思わないから」「新しい3人は俺らのバックじゃなくてメンバーなんだってことがはっきりと見てとれるジャケットがいいって言ったんだよ。5人という形をメンバーも含めてみんなが曖昧に受け取っていたから」と、『たしかなこと』〔小貫信昭著 2005年3月18日初版 ソニー・マガジンズ〕でのインタビューで答えている。 もう一つレコード制作上の大きな変化が、このアルバムからプロデュースをオフコース自身がするようになったこと。『ワインの匂い』〔『ワインの匂い』 1975年12月20日発売 EXPRESS ⁄ TOSHIBA EMI LP:ETP-72123〕からプロデュースを手がけてきた武藤敏史は、オフコースに全面的にプロデュースを委ねることにした。『ワインの匂い』〔の頃には確かに大きかった武藤の比重は徐々に小さくなり、また「充分な力があり、自分で表現のできる人は他人が口出しするよりも、自分達でやるのが一番いい」という武藤の考えはオフコースにも当てはまった。オフコースにプロデュースを全面的に任せることになった経緯について武藤は「彼らは音楽を良く知っている。聴く耳を持っているし、幅広くものを考えているから、自分達でプロデュースしても間違いのない作品を創る」「いつ彼らに渡すかは、三作やった頃から考えていて、あの時期が一番いいんじゃないかと思った。彼らが実際に自分達でやるためには、中途半端にかんでいたら本当のプロデュースにならないから、一切…、オフコースにもう情熱がなくなったんじゃないかと誤解されるくらい、スタジオにも顔を出さなかったし…。本当は行きたくてしょうがなかったけど。出来上がった作品は、僕の予想を裏切る、もっともっと新しいものだった。いいものを作ったから驚いたし、最高に嬉しかった。彼ら自身にプロデュースしてもらったことは正しかったと思っている」と、後に語っている。 B-4「生まれ来る子供たちのために」に続いて、1979年8月4日と8月5日に田園コロシアムで行われた野外コンサートでの「いつもいつも」が収録されている。 アルバムにはミニポスターを同封。また、このアルバムからグラフィック・デザイナーが福里弘之に変更となり、グループ名のロゴが“Three and Two”を併せた、すべて大文字のデザインに変わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Three and Two」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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